2012年 01月 10日
考えとか |
特にこれといったネタがないので、ある友人にだらだらと話したことを要約して書こうと思う。
NHKの番組で「共感覚」という、文字や音楽に色が付いて見える人の特集をしていた。ある共感覚者はその色の配色で物事を覚えるらしく、むしろ文字に色が付いて見えない人はどうやって物を覚えるんだろうと思うのだそうだ。共感覚者がどの文字にどの色が見えるかは個人差があり、人それぞれ異なるらしい。
もう一つ別の例を挙げる。
時計なしで時間を10秒数える時、ある人は頭の中で1,2,3,...,10 と暗唱して数えるのに対し、別の人は数字が書かれた紙がペラペラめくれるイメージが見え、それを数えるのだそうだ。例えばアナウンサーなどは限られた時間の中で原稿を読まなければならないが、その際自分の声で頭の中の数の暗唱が聞こえないので、後者の方法を用いて読むのだそうだ。
で、この2つの例を以て何が言いたいのかというと、人は同じ考えを持っても、それが未だ表出しないところから、非常に根本的なところからやはり人それぞれ異なっている、ということである。
こういう領域からの思考方法で何か自分たちにも使えるものはないかと思うのだが、これを捉えるにはある程度の内省が必要で、あまりに根本的な無自覚に最適化した方法というのは、その人にとって当然過ぎることなので、滅多に語ってくれない。
そんな内容を話したところ、友人がその思うところを語ってもらったが、曰く、「自分の本当に覚えたいことはそれが図形になって覚える。具体的に何がどういう形になるのかは言いにくいけど。」
少なくとも私にはまったくない発想だった。とても真似出来そうにない。私は彼を信用しているので、その言葉は彼自身の無私の内省によって発したものだと信じる。
一言余計なことを言わせてもらいたい。彼はとても成績が優秀だっただけに、同じ教室で勉強したこともその捉え方はやはり頭の内の奥底から異なっていたのかとつくづく思った。
こういったやり方は人に応用するのは難しいだろうか。
例えば、高速暗算できる人が脳内にそろばんのイメージを、プロ棋士が脳内に将棋盤のイメージをはっきり出して思考するというが、それができるまで相当の訓練を積んでいるので、他人の最適化した思考法を自分に応用するにも、相応の訓練が必要かもしれない。
以上、駄文失礼。
次はo高氏に一筆お願いする。
NHKの番組で「共感覚」という、文字や音楽に色が付いて見える人の特集をしていた。ある共感覚者はその色の配色で物事を覚えるらしく、むしろ文字に色が付いて見えない人はどうやって物を覚えるんだろうと思うのだそうだ。共感覚者がどの文字にどの色が見えるかは個人差があり、人それぞれ異なるらしい。
もう一つ別の例を挙げる。
時計なしで時間を10秒数える時、ある人は頭の中で1,2,3,...,10 と暗唱して数えるのに対し、別の人は数字が書かれた紙がペラペラめくれるイメージが見え、それを数えるのだそうだ。例えばアナウンサーなどは限られた時間の中で原稿を読まなければならないが、その際自分の声で頭の中の数の暗唱が聞こえないので、後者の方法を用いて読むのだそうだ。
で、この2つの例を以て何が言いたいのかというと、人は同じ考えを持っても、それが未だ表出しないところから、非常に根本的なところからやはり人それぞれ異なっている、ということである。
こういう領域からの思考方法で何か自分たちにも使えるものはないかと思うのだが、これを捉えるにはある程度の内省が必要で、あまりに根本的な無自覚に最適化した方法というのは、その人にとって当然過ぎることなので、滅多に語ってくれない。
そんな内容を話したところ、友人がその思うところを語ってもらったが、曰く、「自分の本当に覚えたいことはそれが図形になって覚える。具体的に何がどういう形になるのかは言いにくいけど。」
少なくとも私にはまったくない発想だった。とても真似出来そうにない。私は彼を信用しているので、その言葉は彼自身の無私の内省によって発したものだと信じる。
一言余計なことを言わせてもらいたい。彼はとても成績が優秀だっただけに、同じ教室で勉強したこともその捉え方はやはり頭の内の奥底から異なっていたのかとつくづく思った。
こういったやり方は人に応用するのは難しいだろうか。
例えば、高速暗算できる人が脳内にそろばんのイメージを、プロ棋士が脳内に将棋盤のイメージをはっきり出して思考するというが、それができるまで相当の訓練を積んでいるので、他人の最適化した思考法を自分に応用するにも、相応の訓練が必要かもしれない。
以上、駄文失礼。
次はo高氏に一筆お願いする。
by chiba_univ_shogi
| 2012-01-10 23:59
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