2012年 03月 23日
将棋の面白さについて |
「あの人」などと指名されましたが私なぞは出オチにもなりません。あまりにもネタが思い付かず更新が遅れたことを部員の方々にお詫び申し上げます。僭越ながら将棋のことを書こうと思います。
去年のサークルの日のことです。当時新入生のY中が将棋に負け、ある質問を投げかけました。
「将棋のどこがおもしろいんすか?」
K山さんが5秒くらいだけ考えて「いや、将棋つまんねえよ」と答えて周りの笑いを誘いましたが。
確かに将棋の面白さは何なのか、それは容易には言葉にはなってくれません。むしろ将棋を指すことの苦労の方が先立って思い浮かぶかもしれませんが、かといってつまらないと結論付けるのは身も蓋もないことでしょう。つまらなければそもそもあの部に人が集まるわけがないのですから。
例えば、プロ棋士の島朗氏は彼の著作で次のようなことを述べています。
「棋士の幸せは勝利という静的な状態にしかないが、充実感や生きがいというものは対局が終わった後の状態ではなく、対局中の不安定だがエネルギーの高い緊張感の中にしか感じることはできない。そういった意味で考えれば、幸せと充実感は似ているようでも実は対極の位置にあるものなのだ。」
これは棋士に限らず、全国の将棋指しにも当てはまる言葉だと思われます。
将棋の面白さに関しては特にこの充実感、”不安定だがエネルギーの高い緊張感”というのが重要な意味を持つでしょう。
将棋の強い方は終盤戦が一番楽しいという事をよく耳にします。光速の寄せと呼ばれ、終盤力に定評のある棋士谷川浩司氏はこう述べています。
「将棋の面白さは終盤戦にある。自玉と敵玉の危険度を計算しながら攻めあうスリル。これぞ将棋の醍醐味である。」
「どんなに優勢な局面を作っても、たった一手のミスでひっくり返ってしまうのが将棋である。逆に、完全な負け将棋を終盤の妙手でひっくり返すことができれば、これほど痛快なゲームはない。」
「終盤ぎりぎりの競り合いを切り抜けて、相手の玉を詰ました瞬間の喜び。これほど興奮できる喜びを味わうことのできるゲームは他にないと思う。」
終盤の勝つか負けるかのせめぎ合いのとき、頭の中は詰むや詰まざるやの読みで飽和し、その一手ごとにスリルを感じられるのはまさに”不安定だがエネルギーの高い緊張感”という状態といえるでしょう。
しかし逆にいえば、このスリルを味わうためにはある程度の終盤力を要求されるという問題があります。これは特に初心者には敷居の高いものになりがちです。
「せっかく序盤から苦心を重ねて優勢にした将棋も、終盤を苦手にしていたら逆転負けを食らってしまう。それを何度も繰り返していたら、将棋そのものを嫌いになってしまうだろう。」
将棋には常に逆転されるかもしれないという怖れが付きまとい、そこにスリルがあり、また苦労することになります。
私はこの部に入った時は駒の動かし方しか知らない初心者だったので、こういった充実感を得られるような対局ができるまでとても時間がかかったし、当時はむしろスリルや緊張感というのが却って嫌で仕方がありませんでした。
この部においては初心者は負け続けざるを得ないと思いますし、勝ち負けにこだわりすぎるとこのゲームはつまらなくなるでしょう。
将棋の面白さは勝つことに限った事ではないと思います。
以下は羽生善治氏の言葉ですが、
「なんとか分かりそうだけれども分からないことが、一番楽しいんです。」
これは将棋に限らず、問題に取り組み試行錯誤する人なら、誰しも共通する感覚だと思われます。
将棋は手数が進んでくると、必ず着手に困る局面に出会わざるを得なくなります。それはある意味その局面から謎を問いかけられるようなもので、さて、どう答えるのか。私はそれを考えるのが楽しいと思っています。
実際の対局は分からない局面がとても多くよく失敗しますが、それゆえに局後の感想戦でその局面はどのようにすべきであったかを相手と話し合うのは、常に新しい発見を見るようで実に面白いものだと思っています。
それを繰り返していたら、ある日、稀に勝てるようになりました。
次は新部長のS田君のウィットに富んだ文章を期待します。
去年のサークルの日のことです。当時新入生のY中が将棋に負け、ある質問を投げかけました。
「将棋のどこがおもしろいんすか?」
K山さんが5秒くらいだけ考えて「いや、将棋つまんねえよ」と答えて周りの笑いを誘いましたが。
確かに将棋の面白さは何なのか、それは容易には言葉にはなってくれません。むしろ将棋を指すことの苦労の方が先立って思い浮かぶかもしれませんが、かといってつまらないと結論付けるのは身も蓋もないことでしょう。つまらなければそもそもあの部に人が集まるわけがないのですから。
例えば、プロ棋士の島朗氏は彼の著作で次のようなことを述べています。
「棋士の幸せは勝利という静的な状態にしかないが、充実感や生きがいというものは対局が終わった後の状態ではなく、対局中の不安定だがエネルギーの高い緊張感の中にしか感じることはできない。そういった意味で考えれば、幸せと充実感は似ているようでも実は対極の位置にあるものなのだ。」
これは棋士に限らず、全国の将棋指しにも当てはまる言葉だと思われます。
将棋の面白さに関しては特にこの充実感、”不安定だがエネルギーの高い緊張感”というのが重要な意味を持つでしょう。
将棋の強い方は終盤戦が一番楽しいという事をよく耳にします。光速の寄せと呼ばれ、終盤力に定評のある棋士谷川浩司氏はこう述べています。
「将棋の面白さは終盤戦にある。自玉と敵玉の危険度を計算しながら攻めあうスリル。これぞ将棋の醍醐味である。」
「どんなに優勢な局面を作っても、たった一手のミスでひっくり返ってしまうのが将棋である。逆に、完全な負け将棋を終盤の妙手でひっくり返すことができれば、これほど痛快なゲームはない。」
「終盤ぎりぎりの競り合いを切り抜けて、相手の玉を詰ました瞬間の喜び。これほど興奮できる喜びを味わうことのできるゲームは他にないと思う。」
終盤の勝つか負けるかのせめぎ合いのとき、頭の中は詰むや詰まざるやの読みで飽和し、その一手ごとにスリルを感じられるのはまさに”不安定だがエネルギーの高い緊張感”という状態といえるでしょう。
しかし逆にいえば、このスリルを味わうためにはある程度の終盤力を要求されるという問題があります。これは特に初心者には敷居の高いものになりがちです。
「せっかく序盤から苦心を重ねて優勢にした将棋も、終盤を苦手にしていたら逆転負けを食らってしまう。それを何度も繰り返していたら、将棋そのものを嫌いになってしまうだろう。」
将棋には常に逆転されるかもしれないという怖れが付きまとい、そこにスリルがあり、また苦労することになります。
私はこの部に入った時は駒の動かし方しか知らない初心者だったので、こういった充実感を得られるような対局ができるまでとても時間がかかったし、当時はむしろスリルや緊張感というのが却って嫌で仕方がありませんでした。
この部においては初心者は負け続けざるを得ないと思いますし、勝ち負けにこだわりすぎるとこのゲームはつまらなくなるでしょう。
将棋の面白さは勝つことに限った事ではないと思います。
以下は羽生善治氏の言葉ですが、
「なんとか分かりそうだけれども分からないことが、一番楽しいんです。」
これは将棋に限らず、問題に取り組み試行錯誤する人なら、誰しも共通する感覚だと思われます。
将棋は手数が進んでくると、必ず着手に困る局面に出会わざるを得なくなります。それはある意味その局面から謎を問いかけられるようなもので、さて、どう答えるのか。私はそれを考えるのが楽しいと思っています。
実際の対局は分からない局面がとても多くよく失敗しますが、それゆえに局後の感想戦でその局面はどのようにすべきであったかを相手と話し合うのは、常に新しい発見を見るようで実に面白いものだと思っています。
それを繰り返していたら、ある日、稀に勝てるようになりました。
次は新部長のS田君のウィットに富んだ文章を期待します。
by chiba_univ_shogi
| 2012-03-23 16:17
| 将棋の話題