2012年 09月 11日
何だったのか? |
前の記事で非常にアレな扱いをされていたO場です。
少しぐらい顔出した方がいいんだろうなあと思いつつ全然部室に行ってません。まあ前期は忙しかったし、しょうがないことにしておいてください。
前期が終わっているのに一年生が全然わからないし、一年生からも認識されてないだろうことはすごくよろしくないとは思います。反省はしていません。
さて先日、暇になったし大会ぐらい出ようとオール学生団体戦に行ってきました。参加メンバーはU澤、E河、S田、M川、O高、それに補欠の私です。補欠なのに結局4回も出していただいて、全く光栄なことです。
主将がメーリスで流していますが、結果としてはチーム4-1、個人勝ち数18で6位でした。
賞品として谷川浩司『光速の詰将棋』を5冊いただきました。同じ本を5冊とかセンスがありすぎて処分に困りましたが、もともと持っていたS田以外の5人が引き取ることになりました。例年ならチェスクロがもらえる順位だった気がしますが、事業仕訳でしょうか。
遅刻はよくないと思います。大会関係の責任者である主将はもとより、他のメンバーの期待を大きく裏切り、全体に損害を与える極めてクズな行為です。誰かと駅で待ち合わせた時間の一時間後に電話が来て、ようやく目が覚めるとかありえません。そんな輩は補欠にされて然るべきです。もっと自覚を持つべきです。
ところで前の記事での扱いがアレだったので、昔のことを少し思い出してみました。ちょうど四年後期前だし、キリがいいかと。誰得ですけど。
○1年(2009)
初めて部室に来た時に応対してくださったのがたしかH田さん(囲碁部、当時5年)、初めて部室で指したのがヒゲ氏。N村がリア充キャラでした。K瀬さんがまだ7年で、部室の妖精さんでした。普通の妖精さんと比べるとそれはそれはスケールの大きい方で、卒業の頃には調子次第ではジャンチ7枚を消す魔法を使える稀有な方でした。当時4年のO形さんがもうオッサンだと言っているのを耳にして、そんなことないだろうと思っていましたが、4年になった今、自分はそろそろオッサンだと思います。一年の頃普通に食べられたなりたけが本当にしんどくなりました。
当時は自分も結構部室に行ってました。部室に行くとS月女さんが将棋年鑑を開いて一人で棋譜並べしてたり、今ではあまり見なそうな光景ですね。春季団体戦は二日目から参加、個人4-0(+1不戦勝)という今では考えられない成績でした。後から見ると、相手も結構強いところ引いてたし。チームは4-3でB1残留。上智がA級で替え玉事件をやらかしたのはこの期です。
秋季はこの関係でB1は7校、チーム5-1でAに昇級。個人も5-1でした。昇級したはいいが、主将になる来季の戦力が心配でした。
○2年(2010)
春から主将就任。O形さんの代が(わりと)卒業して、著しい戦力不足が見込まれましたが、優秀な後輩がたくさん入ってきて、十分に補完されました。2年以上が前より強くなっていると考えると、むしろ強化された感もありました。前回のO高の記事にありますが、新入生大量投入のオーダーがその象徴かと。
オーダーは大体当てていた気がするので、落ちたのは力不足でしょう。
個人的には東大のI江氏・早稲田のY田氏に凹された将棋と、日大のK歩氏相手のゴミな将棋が印象に残ってます。あれはゴミです、ゴミ。
秋は二日目まで5連勝してから明治神大との直接対決に負けて3位。明治戦はさんざん考えてガチにぶつけて2-5なんだから、単純に力負け。神大戦もしっかりI泉氏にN村爆弾をぶつけました。O場-N根と、全勝がかかってたS月女-M川(たしか)を落としたのが敗因で、これはO場とは何だったのかと言われてもしょうがないですな。
個人5-2、だんだんB1での負け数が増えています。弱くなってるわけではないはずなのですが。
もうあまり覚えていないですが、この年度の4年生は最後まで人数が多く、部に関わってきてくれる方が多くてやりやすかったです。個人的には、掛け持ち先の演奏会もあって、秋頃から出現率が激減。次の年にあっちで重たーい役職についたこともあって、いつのまにかそれがデフォになってしまいましたとさ。
○3年(2011)
なぜか春まで主将続投。また大幅な戦力低下が見込まれたが(略)。春頃は主将だったし、そこそこ部室に顔出すようにしてた記憶があります。自分も含め、N村以外の3年以上(うちの代)を活動時間に部室出現率が減ってきました。おかげで書けるようなことを覚えてない。大変よろしくないですな。一年生はすごく真面目に将棋と麻雀をやっているのに。
春季、最後の主将。専修戦はガチ3つ落としてちゃお話にならない。東工は強かったです、個人的にはなんかゴミな将棋を指した覚えがありますが、全体としては力負けかと。最後は昇級争い直接対決の法政戦で、自分が主将の間で、唯一オーダーでやられたと思ったのもコレ。必敗というほどでもないけれどもやや不利で、結局3-4負け。個人4-3、また負けが増えた。
また3位で終了。個人的に3-4負けに貢献したのも確かこの法政戦が初めてで、その点勝負弱いですけど相手も普通に強いし。
秋、K脇主将のもと、最後にはA級昇級。負けた神大中央の両方で3-4に貢献してました。個人4-3。
○4年(2012)
公務員試験の都合ですっかり幽霊気味。最終日だけ召喚されて、ちゃんとA残留に貢献しました(キリ
最近都内某区より内定を頂いて、やや暇気味なので、後期は少しは顔出したいなあと。
さらっと書きすぎてその時いた人しかよくわからない、というかいた人でも思い出せないかもしれないですが、そんなこんなで次が最後なわけです。確かに主将の間結果が出てないですけど、オーダー負けの覚えはほとんどないので、主将の仕事自体としては何だったのかと言われるほどでもないと主張しておきます(笑)
最後ぐらいちゃんと締めたいなあ。
次はO村にお願いします。
少しぐらい顔出した方がいいんだろうなあと思いつつ全然部室に行ってません。まあ前期は忙しかったし、しょうがないことにしておいてください。
前期が終わっているのに一年生が全然わからないし、一年生からも認識されてないだろうことはすごくよろしくないとは思います。反省はしていません。
さて先日、暇になったし大会ぐらい出ようとオール学生団体戦に行ってきました。参加メンバーはU澤、E河、S田、M川、O高、それに補欠の私です。補欠なのに結局4回も出していただいて、全く光栄なことです。
主将がメーリスで流していますが、結果としてはチーム4-1、個人勝ち数18で6位でした。
賞品として谷川浩司『光速の詰将棋』を5冊いただきました。同じ本を5冊とかセンスがありすぎて処分に困りましたが、もともと持っていたS田以外の5人が引き取ることになりました。例年ならチェスクロがもらえる順位だった気がしますが、事業仕訳でしょうか。
遅刻はよくないと思います。大会関係の責任者である主将はもとより、他のメンバーの期待を大きく裏切り、全体に損害を与える極めてクズな行為です。誰かと駅で待ち合わせた時間の一時間後に電話が来て、ようやく目が覚めるとかありえません。そんな輩は補欠にされて然るべきです。もっと自覚を持つべきです。
ところで前の記事での扱いがアレだったので、昔のことを少し思い出してみました。ちょうど四年後期前だし、キリがいいかと。誰得ですけど。
○1年(2009)
初めて部室に来た時に応対してくださったのがたしかH田さん(囲碁部、当時5年)、初めて部室で指したのがヒゲ氏。N村がリア充キャラでした。K瀬さんがまだ7年で、部室の妖精さんでした。普通の妖精さんと比べるとそれはそれはスケールの大きい方で、卒業の頃には調子次第ではジャンチ7枚を消す魔法を使える稀有な方でした。当時4年のO形さんがもうオッサンだと言っているのを耳にして、そんなことないだろうと思っていましたが、4年になった今、自分はそろそろオッサンだと思います。一年の頃普通に食べられたなりたけが本当にしんどくなりました。
当時は自分も結構部室に行ってました。部室に行くとS月女さんが将棋年鑑を開いて一人で棋譜並べしてたり、今ではあまり見なそうな光景ですね。春季団体戦は二日目から参加、個人4-0(+1不戦勝)という今では考えられない成績でした。後から見ると、相手も結構強いところ引いてたし。チームは4-3でB1残留。上智がA級で替え玉事件をやらかしたのはこの期です。
秋季はこの関係でB1は7校、チーム5-1でAに昇級。個人も5-1でした。昇級したはいいが、主将になる来季の戦力が心配でした。
○2年(2010)
春から主将就任。O形さんの代が(わりと)卒業して、著しい戦力不足が見込まれましたが、優秀な後輩がたくさん入ってきて、十分に補完されました。2年以上が前より強くなっていると考えると、むしろ強化された感もありました。前回のO高の記事にありますが、新入生大量投入のオーダーがその象徴かと。
オーダーは大体当てていた気がするので、落ちたのは力不足でしょう。
個人的には東大のI江氏・早稲田のY田氏に凹された将棋と、日大のK歩氏相手のゴミな将棋が印象に残ってます。あれはゴミです、ゴミ。
秋は二日目まで5連勝してから明治神大との直接対決に負けて3位。明治戦はさんざん考えてガチにぶつけて2-5なんだから、単純に力負け。神大戦もしっかりI泉氏にN村爆弾をぶつけました。O場-N根と、全勝がかかってたS月女-M川(たしか)を落としたのが敗因で、これはO場とは何だったのかと言われてもしょうがないですな。
個人5-2、だんだんB1での負け数が増えています。弱くなってるわけではないはずなのですが。
もうあまり覚えていないですが、この年度の4年生は最後まで人数が多く、部に関わってきてくれる方が多くてやりやすかったです。個人的には、掛け持ち先の演奏会もあって、秋頃から出現率が激減。次の年にあっちで重たーい役職についたこともあって、いつのまにかそれがデフォになってしまいましたとさ。
○3年(2011)
なぜか春まで主将続投。また大幅な戦力低下が見込まれたが(略)。春頃は主将だったし、そこそこ部室に顔出すようにしてた記憶があります。自分も含め、N村以外の3年以上(うちの代)を活動時間に部室出現率が減ってきました。おかげで書けるようなことを覚えてない。大変よろしくないですな。一年生はすごく真面目に将棋と麻雀をやっているのに。
春季、最後の主将。専修戦はガチ3つ落としてちゃお話にならない。東工は強かったです、個人的にはなんかゴミな将棋を指した覚えがありますが、全体としては力負けかと。最後は昇級争い直接対決の法政戦で、自分が主将の間で、唯一オーダーでやられたと思ったのもコレ。必敗というほどでもないけれどもやや不利で、結局3-4負け。個人4-3、また負けが増えた。
また3位で終了。個人的に3-4負けに貢献したのも確かこの法政戦が初めてで、その点勝負弱いですけど相手も普通に強いし。
秋、K脇主将のもと、最後にはA級昇級。負けた神大中央の両方で3-4に貢献してました。個人4-3。
○4年(2012)
公務員試験の都合ですっかり幽霊気味。最終日だけ召喚されて、ちゃんとA残留に貢献しました(キリ
最近都内某区より内定を頂いて、やや暇気味なので、後期は少しは顔出したいなあと。
さらっと書きすぎてその時いた人しかよくわからない、というかいた人でも思い出せないかもしれないですが、そんなこんなで次が最後なわけです。確かに主将の間結果が出てないですけど、オーダー負けの覚えはほとんどないので、主将の仕事自体としては何だったのかと言われるほどでもないと主張しておきます(笑)
最後ぐらいちゃんと締めたいなあ。
次はO村にお願いします。
by chiba_univ_shogi
| 2012-09-11 11:49